愛のある厳しさ
「善を行う者はいない。
だれ一人いない。」
詩篇14篇3節
聖書は世の中の現実をはっきりと言います。
善を行う者は「だれ一人いない」と、念を押すかのように繰り返します。
このように言われると、身も蓋もない、と感じるでしょうか。
誰も良い気分はしないでしょう。
特に真面目に生きようとしていらっしゃる方なら、なおさらかと思います。
ついつい反論したくなるかもしれません。
世の中そんなに捨てたものではない、と思いたいものです。
5月18日付で、
「神奈川・横須賀市役所に、現金6000万円の寄付が届けられた」というニュースがありました。
確かに素晴らしい方もいらっしゃいます。
心が温まります。
それでもなお聖書は「善を行う者はいない だれ一人いない」と言います。
聖書は人間を全く美化しません。綺麗事を言いません。
ではなぜ、それほどまでに厳しい言葉を語るのでしょうか。
2つの理由が考えられます
①古今東西、人類に共通する真理だから
完璧な人間はいません。
いつもでもどんな時でも善を行うことができる人は、どこにもいないでしょう。
これが飾ることのない、ありのままの私たちの現実なのです。
②救いのため
聖書はいたずらに私たちの不十分さを責めません。
私たちは自分の否定的な部分を認めて、はじめて救いを求めるようになります。
悔い改める人には赦しがあります。
「善を行う人はいない 一人もいない」という聖書の言葉を心に留めるとき、
私たちは素直に自分の弱さを認めましょう。
ご安心ください。
このブログを読んでくださっている「あなた」だけが「善を行わない」のではありません。
全ての人がそうなのです。
善を行う人はだれもいないのですから、全ての人が悔い改めて救いを求めるように促されているのです。
ご安心ください。
イエスさまは、善を行わないあなたを責めません。
むしろイエスさまは、そんなあなたの罪を赦してくださいます。
私たちは、自分の罪を悔い改めてイエスさまを信じるとき、全ての罪が赦されます。
これこそが、他にはない、唯一の救いです。
私たちが救いを求めようと思うために、
聖書は厳しいことも語ります。
愛のある厳しさです。
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